投稿雑誌 You times us is... InsideOut

じきに飽きる幸せ / 酒井多果

じきに飽きる幸せ

novel

酒井多果PROFILE



 共感を得られないと何もうまくいかないと週刊誌も言っている。5月半ば、市ヶ谷で雨のなか散歩していたソノエに父親から着信がある。今見ている景色の話をしろと言われ葉桜の話をする。葉と花の割合を聞かれ、とっさに8分咲きと答え、葉のほうが、と付け足す。
 あんまり無理をするな、と返されるが、何を気遣われてるのかよくわからない。喫茶店、席をとった途端ソノエは、
「父さん、向かいのひとは洋書読んでるよ」
 そんなことを言い、当然にらまれる。短く髪を切り込んだ白髪の婦人。ソノエは謝る。
「父が、目が見えないもので」
 また見ようね、と電話を切る——婦人からウインナーコーヒーをごちそうになるなか、ソノエは終始架空の父を描き続ける。ありふれた日常のなか・あからさますぎない・胸を打つエピソード。記憶を懸命に掘り起こしているかのように、どうでもよいところで熱を込め、綿密に語る。余白の多い話になる。
 読書家なためか、婦人は丁寧に補完してくれた。ソノエは悠々と不謹慎に浸り、帰宅後ソファでゴディバのシフォンを突っつきながら少しだけ落ち込んだ。鏡を見つめる——いやな目だと思う——でも顔で褒められるのは大抵目だ。キラキラで生気あるねなんて言われる。
 
 道で誰かとすれ違うとき、ふっと顔を下げるひとがいる。
 ソノエはひとと目を合わせるのが好きだった。それで、進行方向から誰かがやってきたとき、彼女は互いが視界に入るあたりを狙って「こんちはー」と声をかけ始めたが、一晩でやめた。うつむいているひとが上げた目はみな弱々しく見開かれ、震えていた。
 
 喫茶店の婦人の瞳ははじめ毅然としていたが、やがて潤んだ。ソノエは、それに釣られた。先にホロりこぼれたのはソノエで、でも「何やってんだろワタシ」とは地下鉄でも全然思えなかった——誰かと目と目で通じあえるなら、何でもいいんじゃないかな。こうするしかないひとのほうが、多いのかもしれないし。お互いに。
 
 


 ツカモトJが現在所属するアマバンドは全員男性で、かつてギターが3人いた。
 その他に3人。工業用の太いバネを導線でアンプに繋いで叩くことで交通事故風の破裂音を鳴らすパーカッショニスト兼ボーカルがひとり。リズムを数拍ずつ正確にずらしていくのが好きな、昔セミプロで活動していたドラマーがひとり。
 そしてツカモトJはエレキバイオリン兼ボーカルだった。バネ・パーカッショニストとのツイン朗誦バンド。
 まっとうにボーカルらしく振る舞いづらいバンドだった。歌詞に即興が求められるほか、演奏もコード・テンポ・拍子すべてが成り行きまかせのジャム崩れで、唄は適当にならざるをえなかった。バンドはそのさまを朗誦・朗読、ときにブルースと呼んだ。
 歌詞や演奏面でカンニングのないよう、携帯の電源は毎度切らされる。
 それでもツカモトJは、メロディの素材を毎回用意してくる。周りにすぐ読まれてしまうが、そこでの「勝負」も楽しみのひとつだった。「持ち込み」を察知した誰かが誰かに目配せすることで、演奏隊は次々に色を変えた。
 ドラムは拍子・テンポを少しずつずらしたり、主にハイハット・バスドラムを駆使し3つ以上のポリリズムを出し入れしたりして、唄のメロディを潰しにかかる。
 ギターは3人でチカラを合わせ、1拍のなかでもコードを変えてくる。
 各々が勝手にリズムを意識するので、全体でポリリズムが5つ以上に及ぶことも珍しくない。バイオリンを弾きながらのツカモトJの唄はこのあたりで限界を迎え、彼はトーキングスタイルに逃げる。
 ゆとりのあるぶんバネ・パーカッショニストのヤマグチが往々にして、歌詞の主導権を握る。
 バネは、左手ひとさし指と中指の間に細く短いもの、同中指と薬指とで太く長いものを持ち、ドラムのスティックで叩く。叩く強さ・位置とチューニング次第で、鋼鉄が猛スピードで何かにぶつかってひしゃげるような音も出るし、缶を手のなかで優しくつぶすくらいにも留められる。
 
 ゴミ箱でも箸でも、無理やりアンプに繋げば楽器になっちゃうよ! というツカモトJのSNS投稿に執拗に喰いついてきたのがヤマグチだった。
 ツカモトJは何となく、ヤマグチ主催のセッションイベントに参加し始め、いつの間に常連メンバーでバンドが組まれていた。メーリングリストが回った翌日には、本職SEのヤマグチの余技で簡易な公式サイトまでできていた。
 バンドの歌詞世界は、おもに週刊誌的な下世話さに支えられていた。最近は往々にして架空の人物の習性・特徴・性癖をあげつらい、その過去をあれこれ掘り下げる「架空の伝記」の形に落ち着く——即興では、すでに出たアイデアに勝手に乗っかって進めるのが楽でしょうがない——そしてボーカルふたりが互いに目標を共有していないため、憶測の域を出ない無責任報道記事の形にうまく落ち着く。
 
 23歳のツカモトJがバンド最年少で、あとはみな30から35だった。
 ツカモトJとヤマグチが少しずつ、「こういうこと言う奴ってこんな人生送ってそう」程度のノリで人生を塗り足していく。
 すべての即興は5本のマイクを使って録音され、ヤマグチによって即日で最終ミックスダウンまで成される。音の抜き差しは基本的に行わない。
 出来上がった音源はバンドメンバー全員がアクセスできるWEB上のクラウド環境に置かれる。各自で聴いて、スカイプで感想を共有する。ヤマグチは大抵、
「歌詞、今回は最後まで満足度高いんだけどさ、これは僕らがすごいとかじゃ全然なくって、「人生」がすごいんだよやっぱ。演奏もちゃんと山あり谷ありしちゃってるしさ」
 ——1曲あたり20分以上がざらだった。演奏は「人生」に沿っていくらでも変わり、ツカモトJもヤマグチも振り回されながら、自分たちが種をつけた「人生」についていく。
 
 この手の、ある方向に振りきったバンドは、ライブ会場を吟味し初志貫徹することで少数の根強いファンがついてくる。
「突飛さ」「複雑さ」「難解さ」のどの印象も持たれたくないと、バンドメンバー全員が思っていたがどだい無理な話だったので吉祥寺「シルバー・エレファント」のような、突飛なバンドが集まるところを足がかりに、出来たパイプをその都度渡っていった。知り合いに声を掛けて回らなくとも、打ち上げ代くらいはまかなえるようになっていった。
 
 そんななか3人のギターのうち、転勤に伴いひとりが脱退した。クラシックギターの有名プレイヤーに長年師事している、本職は電気技師の32歳だった。転勤先の千葉ではブラジリアンジャズのトリオを組んだという。ドラム、オルガン、そして彼。
 しかしヤマグチは、
「まあ、彼もリズムをズラしたがるひとだったけど、彼のズラし方はビートがないっていうかさ、ズラし方が場違いで、一体になってるリズムを消しちゃうんだよね。
 ムラカミさんはそこが違くってさ。ムラカミさんのズラしかたにはビートがあるんだよね、どの挙動も理に適ってるっていうか、ちゃんとグルーヴしてる」
 ムラカミさんとはドラマーのことで、ヤマグチのこの評価にはツカモトJも全面的に賛成できた。
 それでいてズラしなんてない叩き方、ファンクや古いR&Bっぽい粘るグルーヴも、ムラカミさんは狙いすましたような後ノリを作って綺麗にこなす——リズムマシンが4分の4拍子を寸分狂わず打つとしたら、彼はその寸分違わぬ位置の、ほんの少しだけ前後を場面に応じて叩き分けることができた。浅黒く精悍な肉体。短く切りこんだ髪。アニメコンテンツライセンスを扱う会社に務め、バンド唯一の既婚者。5歳になる息子がいる。
 帰りの方角が同じで、ツカモトJは彼と話す機会が多い。
「や、変に叩かせてもらえてて全然嬉しいっていうか、そのほうが普通にやるより楽しいよ。
 普通にやるなら他でやるしさ。ほんっと、ひどい音楽だよね。知り合いライブに呼ばなくて済んでて、ほんと助かってるよ」
 
 ○ 
 
 ツカモトJがサラリーマンになって一番うれしかったのは、勤務中は誰からも基本的に名字でしか呼ばれないことだった。
 フルネームを名乗ると、必ず「え?」と訊き返される。昨今の「キラキラネーム」どころの話ではない。ジャックやジュリーのような洋名の当て字で済んでいたらどれほど楽だったろうと思う。度が過ぎるあまり、幼少期にいじめの対象にさえならなかった。自分は過剰にスペシャルらしいと小さい頃から感じ過ぎていたため、自意識が芽吹くべき思春期には、すでに彼の心根は枯れていた。
 高校・大学で彼は何度か主張の強い女に捕まった。愛想を尽かされ逆ヤリ捨てを二度味わい、そうした女を絡め取るすべを何となく覚えた。
 
 大中小に関わらず、すべての広告代理店はいわゆる下請けに該当する。
 8月、先方のムチャぶりや新規に対応できるよう、若手営業社員数人は盆でも出勤・待機してなければならない。電話は日に数本しかこなかった。ツカモトJは会社のフェイスブックページ運用を建前にしたネットサーフで、もっぱらこの時期の暇をつぶした。
 少人数の企業ゆえ、ツカモトJは新入社員にして社のフェイスブックページ運用の責任者だ。
 週に二度、記事を投稿する。業務上の知識を業界外の人間に紹介したり、自社の特色を書いたりする。
 記事は管理職による精緻な推敲が施される。ツカモトJはたまにはランチの写真をアップしたいと思っているが、いつも許されない。
「オレも昔バンドやってた」が口癖の、ツカモトJにフワっと目をかけてくれている別の課の課長と、その飲み友達数人が、記事の主な読者だった。ページへの「いいね」が150を超えても依然、フェイスブックが新規案件を生み出す予感は皆無だった。
「まあ、先進的なことしてるってことに意味があるんだよ。ね? ツカモトさん」
 そう言って、ある取締役員は定期的にツカモトJを銀座に連れ出し、1500円超のあんみつを御馳走してくれる。
 
 ○ 
 
 春先からずっと平日2日、おもに月と木、ツカモトJは夜、走る。一走10キロ、40分前後のペース。
 両国、秋葉原、神田を通り帰ってくる。どんよりした背の低い飲み屋街を過ぎると、灯りの消えたオフィスビルが並ぶ。
 ぽつぽつ、スーツとすれ違う。自分のようなランナーもたまに見る。
 並木の赤や青に揺れる影から出たり入ったりしながら、ふとツカモトJは気づく——マラソンランナーは自分の2倍のペースで、4倍の距離を走っている。自分は何のために生きているんだろう、と思いながら大きな交差点、救急車が過ぎるのを待つ。
 
 


「みんなでプロになろうねとか、そんな話してたのが懐かしいな。SNSで今でもワナビってるの、わたしくらいじゃないかなー」
 ニシダ・ソノエの曲は2小節ごとに新しいコードが登場し、拍子だけでなくテンポもぐっと変わる。聴き手を驚かせ、不安な気持ちにさせる。
 ソノエはそうした楽曲をライブで忠実に、生演奏で再現した。献身的なバンドメンバーを揃え、大学2年から都内ライブハウスを回りはじめた。
 一度、青山2丁目の小綺麗な小ホールでスカウトされインディーズに行きかけたこともあった——CDを3000枚プレスし、全国タワーレコードに陳列。その代わり、関東圏40箇所のライブ義務。ちゃんとした事務所では当たり前の契約だったが、ソノエは「作品を出させてくれるからって、借金負わせようとしてる」と蹴ってしまった。
 彼女はそのころ流行し始めた、ネットで音源を発表するスタイルに何となく移行した。やがてネットレーベルというタダで音源を配るサイトに声をかけられ「所属」し、今に至る。
 ケチャやアフリカンみたいな、自称クロウトが好きそうなアレンジを記号的に導入しポップ・ミュージックと両立。時間・カネともにかかっているし一般にも大いにうけそうな曲調——ネットにこの手のものはいくらでも溢れている。
 差別化するには歌詞が大事なんだろうな、とソノエは最近思い始めている——取り巻きからチヤホヤされてもなかなかそこから広がっていかない大多数のアマチュアやインディーズの音楽家、みんな本当にたくさんの音楽を聴いているし、どのパートも演奏がうまい。ずらっとエフェクターを並べたり、変な楽器を導入したり、演奏をPCと同期させたり、ひねりを効かせようと頑張っている。そのくせ歌詞は、断定を避けるだけで何も言ってないものか、直接的すぎる幼いものかのどちらかばかり——どこまで本気なのか分からない、こわい。
 
「とりあえず、かたしてくるね」
 ツカモトJが2人分のマックのお盆とともにゆっくりと喧騒のなかに消え、ふたたび浮き上がってくる。
 渋谷区端のスーパーのフードコート。節電冷房がぬるいのでふたり、薄い雨曇りを暑がってあるきながらビルとビルの間でキスをした。ふたりとも「これは違うな」と思った。来週水曜の約束を交わし、別れる。
 
 ○ 
 
 ツカモトJは昔、角2封筒サイズの薄い鉄板をピックアップ導線でアンプに繋ぎ打楽器化させた「創作楽器」でソノエのバックバンドの一員を務めていた。
 ソノエは表参道のほうに行ってしまった。
 ツカモトJはぼんやり山手で新宿まで乗り、西口のHUBで頭の悪そうな赤髪の、その友達の物静かな金髪に狙いを定めた。戯れにショットグラスを落とし笑わせ調子に乗らせてワリ勘の安ホテルで乗せてもらって朝は手厚く最寄り駅まで送った。
「前にこのへん住んでたって言ってたけど、ほんと?」
 応えずツカモトJは金髪の目を覗く。白目がちで左右、離れている。あごは細く締まっていて、歯がきたない。
「いまはわたしの町で、昔はあなたの町だったんだね」
 環七沿い築5年のマンション6階の七畳1Kの整頓の行き届いた中央には、コタツがあった。
 金髪はかき氷器を回す。隣近所で風鈴が鳴り、遠くから車の響きが寄せては返す。金髪は氷にスーパードライをかけはじめ、ツカモトJはバカだなあと思いながらコタツに潜り、驚いた。掘りゴタツだった。
 女の香りっぽいものはない。埃っぽくも汗臭い。暗い中でもわかるほど髪の毛がたくさん落ちている。
 顔だけ出し、見回す。コタツ以外はすべて清潔で、においもない。
 金髪がカズミと名乗ったので、ツカモトJは「あ、僕もカズミなんだよ」と顔だけ出したまま応えた。
 かき氷ののち、互いに囁くだけで金髪の耳には2倍、自分の名が響いていた。
「なんか、どの部屋も掘りごたつみたいだよー」
 ——何の記念か、カズミのペニスはデッサンの対象になる。女のカズミは柔らかく持った鉛筆を走らせる。薄い線しか引けてないような音。
 カズミたちの努力によってあらゆる角度は一定に保たれた。厚いカーテンで日も傾かなかった。
「じゃあ、すごいマンションなんだね」
「ほんと? すごいでしょーエヘヘ」
 西東京のほうの美大非常勤講師の名刺とアムウェイの試供品を懐に、男のカズミは日曜の朝スカイツリーを目指す。鍋かあ。鍋もらったの初めてだなあ。
 
 水曜もだけどきょうも会いたい、とツカモトJを呼び出したソノエは非常に晴れやかな顔をしていた。ツカモトJが小脇に抱えた鍋のハコにも、伊勢丹のビニール袋を笑顔で手渡してくれた。
 ソノエが昔35歳の証券マンに買ってもらったベージュのグッチには、他にばんそうこうや口琴が常備されている。
 10時半に展望台への整理券をもらって、ソラマチはずれのタリーズで時間をつぶす。
「女の子でしょ? そのアムウェイ」
 ツカモトJは特に脚色もせず全部話した。ソノエの機嫌は良いままだ。
 テラス席に移動すると中よりよっぽど涼しくて、ふたりは目下の観光客の波を眺めては遠くのタワーマンション群に目線を上げ、ゆっくり顔を合わせた——ソノエはアイフォンを突き出す。ツカモトJはイヤホンを刺してソノエの新曲を聴く。唄は入っていない。
 ソノエの曲は、作りこみすぎなトラックの嫌味っぽさを軽減するために、いつも唄のボリュームがこころもち大きめにミックスされる。
 唄なしの状態で聴かせてもらったのは初めてなので、これでもかと飛び交う効果音・エフェクト処理にツカモトJは感嘆しながら笑ってしまう。
「そうだ……スケッチされたときのこと、もうちょっと詳しく話してよ」
 ツカモトJはカズミの部屋、掘りごたつの話をした。
「えー何それーその子すごー」
「でしょーいいマンションだよねー」
 整理券を渡して展望台に上るまで1時間弱、2列で待たされる。ふたりは「両手親指を本数宣言とともに1本あるいは2本挙げて、両者の挙げた合計が宣言通りなら自分の手をひとつ減らし、相手より先に両手を下ろしたら勝ち」という小学校の頃流行った遊びを20分して、残りを互いにSNS上でいじり合った。だが大学の同窓から「アレアレー何ふたりー」と言われふたりとも急速に冷めてしまい、とりあえず手をつないだ。
 展望台は、あらゆる年齢層の人たちが純粋な好奇心や興奮に目を輝かせていて、景色よりこの一体感がいいね、とふたりで一致した。のちにソノエは20代のいいところでツカモトJを残しコロッと死んでしまうのだが、一番楽しかったかもと去り際ふわっと思い出したのはこのひとときだった。
 お台場奥の水平線に浮かぶいわし雲の色は淡いピンクで、ふたりとも驚く。「かわいいね」と口を揃える。
「で、そのひとは美大で講師やってるんだよね——変人のふりするのが好きなひとなんじゃない?」
「でもあのひとの本棚、スラムダンクとかクレヨンしんちゃんしかなかった」
 ふたりとも互いの手を、よく乾いていてあたたかいと思う。こちらはふたりとも、口には出さない。
 
 水曜の約束はツカモトJの残業で中止になった。「嘘ついてるんでしょー」とソノエは電話口で終始ニヤニヤしていた。ツカモトJはその日はじめてデリヘルにかけたが、テノールなじいさんが出たので切ってしまった。
 その翌週、ライブ再始動のソノエはそこそこ立派なイベントのトリ前で出て、1曲目から先日ツカモトJに聴かせた曲を披露した。
 ツカモトJがスカイツリーで語って聞かせた体験が、歌詞になっていた。新曲はこの1曲目だけだった。
 ソノエの知り合いや昔から付いている固定客、ネットレーベル界隈やSNSを通じての好事家たちの集まったこの日は終始、新曲の歌詞でもちきりになった。曲が明るいなか過度に猟奇的でわざとらしいとか、この路線で行くならもっと声も展開も媚びたほうが、とか——昔の、比喩を張りめぐらして曖昧にはぐらかすあの作風はどうするの、とか。
 ソノエとツカモトJの共通の友人も何人か来ていた。ツカモトJのバンドの芸風を知るひとはキミがキミがとねちねち彼に絡んできた。ツカモトJはとりあえず、いやーどうもどうもと微笑み返した。
 
 


 宗教関係者の多くに夏休みはない。粛々と個人宅訪問のノルマをこなさねばならない敬虔な信者が世の中にはたくさんいる。いいひとが多い。中高大の夏休み中、何度となく彼らを迎えうってきたソノエはいつも思う。目もちゃんとニコニコしていて、つられそうになる。だから大抵、彼女は父親のレイバンを借りた。
 ソノエが大学時代の前衛風味バンドでグラサンをかけていたのはルー・リードや浜田省吾のような著名なロッカーの影響ではなくて、幼少時のそうした経験からだった。
 
「僕は、小学校3年生のときにヴェルヴェット・アンダーグラウンドに衝撃を受けたんだ」
「へえーわたしその頃モー娘。とかしか聴いてなかった。コアなの聴いてたんだねー」
「さっきの曲、聴いててくれた?」
「うん。わざとああやって下世話な日本語ポップに落とし込んでるんでしょ。伝わったよー」
「おおー……えーそう、ホントー?」
「うん、伝わったー」
 チケット代なしで入れてくれたのに申し訳ないと思いながら、架空の約束を設け新宿へと向かう。向かうふり。改札までついてきやがって。途中下車しツカモトJの最寄り駅。彼がツイッターでピアニストについて講釈を垂れるときは大抵女遊びだ。彼女は向かう。
 スクリャービンが弾くショパンがトロいとか言ってるけど、スクリャービンって1915年に死んでるよねー。聴けなくない? 録音残ってなくない? SNSで嘘つきのセルフブランディングとか。突っ込み待ちなのかなー。彼女の胸は高鳴る。
 
 ○ 
 
 カズミとソノエが女同士仲良く帰った朝、ツカモトJはウォール街へ飛ぶことになった。先月は那覇に飛んだ。納期が遅れている物品を届けなければならない。
 営業の人数がそう多くないので新人が飛ばなければならない。
 船便・空便のスケジュールは発送元会社の力関係でいくらでも前後する。ツカモトJの会社に仕事を回している元請けの大手代理店が都市銀再編のゴタゴタで繁茂期なのだった。
 せっかくだからとツカモトJは長くいじってなかったSNS「マイスペース」にログインする。ところ構わず海外の「フレンド」に声をかける。数カ月更新のないアカウントばかりだ。
 
 フェイスブックやツイッター隆盛以後のマイスペースの没落は、日本では元から知名度がなかったため何とも思われていない。
 マイスペースは素人ミュージシャンが音楽を発信するには絶好のスポットだった。マイスペースでアップロードした楽曲が話題を呼びライブが埋まり、そこから雑誌やラジオなどメディアに取り上げられる、という現象が2000年代、英米ではぽつぽつと起こった。
 フェイスブックに企業用のアカウントがあるように、ミュージシャンはミュージシャン用のアカウントを取得することができる。
 アマやインディの成り上がりたがり屋だけでなく、メジャーレコード会社参加のミュージシャンも続々とマイスペースに参入した。若者への影響力はもちろん、人件費以外は無料という点で、企業には魅力的な媒体だった。
 マイスペース隆盛時、SNSと言えばすなわちマイスペースを指した。実際、2007年頃には億単位のアクティブユーザーが存在していた。
 一方、「他のミュージシャンの楽曲を積極的に褒め、交友関係を築こうとする」ミュージシャンアカウントは限られていた。
 一方的に新曲・新作・イベント通知を「フレンド」に送りつける者が非常に多かった。現在各種SNSで見られる売り込みより数段長文で、ツカモトJもソノエも高校生にしてイキって生きる虚しさを感じたものだった。
 長文は海外からも延々送られてくる——ニッチな母国語のユーザーはDMに英語を併記したりしていて、当時ツカモトJもソノエも地方の高校生なりに「グローバルコミュニケーション」を感じることができ、悪い気はしてなかった。
 
 日本のジャスコの服飾フロアで流れるような古いスムースジャズが聴ける喫茶の曇りガラス越しニューヨーク7番街は19時手前で、荷物はあすでなく今届ける。
 同じような職務のため沖縄に飛んだときは19時半チェックインだった。届け先の銀行は煌々と灯っていたが、物品を引き渡したのは翌朝8時だった。なるはやが礼儀か否か、業界や国によってどう異なるか、彼が自ら調べたことは一度もない。
 雨がきた。タワービル7階、日本でCMも打っている製薬会社の本社で出迎えてくれたのは日系3世で、陽気かつ慇懃な語り口だった。
 握手を求めてきたのでツカモトJは両手で握りしめ、ブンブン振った。男は陽気かつ慇懃なままでいてくれた。
 上司に報告を入れようとした矢先に着信、「帰りの便こっちでキャンセルしたよ」と知らされたツカモトJはウィンドウズ初期装備ソフト縛りで内装をこしらえたような川沿い個人経営バーでストロベリーリキュール・グレープフルーツジュース割を注文し非常に煙たがられる。ニンニクの効きすぎた料理。隣にナイスバディという名のデブ黒人。
 Wanna name it. と語りかけてくる。
 itが何なのかツカモトJは分からなかった。分からないまま今度は自分の名前を訊かれ、ストロベリーグレフルはツカモトJの名になった。
 カウンターでちょっとしたフィーバーが起こる。なんて名前。なんという言葉だ! なんという響きだ! グッド・バイブレーション! マーベラス! マーベラス! 調子づいたツカモトJは生れて初めてタバコを吸って、ひどくむせた。フィーバーはおひらきになった。
 デブだけが隣でヒリヒリする酒焼け声でいつまでも笑っている。熱帯植物園と唐辛子を合わせたような香水。金属的な光を放つ胸元には、澄んだ汗の玉をいくつも乗せている。女は玉を零さない。鼓動に合わせていつまでも揺らすだけだ。
 ツカモトJは唐突に、これまでの人生でふくよかな女を全く味わってこなかったことに気づき愕然とするが、そのまま帰る。
 32階建てホテル8階のラジオからはグローバー・ワシントンJr.「クリスタルの恋人たち」をサンプリングした最新のヒップホップが流れる。大して見下ろせるわけではないが、それらしい夜景もある。ツカモトJは大学の頃新宿西口公園近くの高層ホテルに泊まったことを思い出し、昔の恋人に電話をかけたくなるがいつのまにソノエにかけていた。出てもらえなかった。
 翌朝、留守電が入っていた。
「もしもしー。ちゃんと誰か連れ込んだ? またかけなおしまーす」
 
 吉祥寺、パッとしないラーメン屋に囲まれたヨドバシカメラ前、夏の終わりの夕刻にて。テントウムシ風の、カラフルな中肉小背の女ふたり。
「やらなきゃいけないことにガンガン追われてるこの感じ、人間っぽいよネー」
「やらなきゃいけないことと、そうでないこと考えちゃう感じも、人間臭くてなんかいいよネ。あしたからも、頑張ろうネ」
「うん、頑張ろう」
 ツカモトJは電子バイオリン用の乾電池片手に歩き去る。見分けがつかないがどちらかがタバコに火をつけたのが見える。
 吉祥寺では「シルバーエレファント」に次ぐ、ツカモトJのバンド御用達のライブハウス「24区」には久しぶりにソノエが観に来ている。
 カッチリしたムラカミさんの入りからこの日はスタートした。ほふく前進くらいのテンポで、折に触れキメが入る。第2次大戦で生き残った御歳80のじいさんの話を右にも左にも寄らないよう進める。
 あくまで、戦争は設定として置いておくだけだ。基本的にはじいさんの好きだった食べ物や場所、女を語る——と、なんとなくツカモトJとバネ師ヤマグチの間では共有されていた。
「ミサカ・ケンゾウは冬至かぼちゃを愛した」
「そう、浅草銭湯前の店さ、小きたない店」
 そして適当なところで、
「ミサカ・ケンゾウは戦争で生き残った、しがない地銀の頭取になった」
 このサビっぽい部分はヤマグチ提供のフレーズだった。この際リズム隊はワルツになるが、ギターのひとりは3拍子にならず4拍子のままとなり、会場はオヤッ・オオッという空気になる。舞台上では皆お互いニヤっと歯を見せたりうなづきあったりしている。傍目には、いい具合に肩の力が抜けているように見える。
 ケンゾウには娘がひとりいて、ツカモトJ曰く「ウーマンリブ運動に感化されながらも」、ヤマグチ曰く「主婦に落ち着く」はずが、ツカモトJ曰く「参議院議員を目指す」。ヤマグチ曰く娘は「落選し、一家には男が婿に入ってくる」。この間の演奏は一貫して4ビートジャズだった。
 バネが乱暴に殴られる。不意にテンポが2割増しになり、ツカモトJはちょいちょいのピチカート一辺倒に変わる。少し休憩するために、バイオリンを置き、「ミサカ・ケンゾウは戦争で生き残った、しがない地銀の頭取になった」にメロディを付ける。現状テンポの半分の速度に合わせた、16小節に渡るおおらかなメロディ。
 ツカモトJはメンバーの「妨害」に期待する。半分以下の超スローテンポに演奏を変えてくるかな、と思いきやヤマグチは「働けよー」といった調子で太いほうのバネをガンガン打ちならす。ツカモトJは唄のテンポを変えない。各々が勝手なリズムに分散し始めた。客の脚の動きがバラバラになってゆく。先ほどまでのテンポでつま先を動かすひとがいなくなるまで、バンドは無調の演奏を続ける。
 ケンゾウの頭取ライフはナイトクラブや投資など、娘に比べれば凡庸の域を出ない。
 ふと、ムラカミさんは力強いジャングルビートを打ちだす。混沌の中で確かなリズムが、少しずつ輪郭をはっきりさせていく。観客のノリがひとつに収束していく。大団円だ。
 ケンゾウを殺すな、とふたりは目配せし合う。その矢先、ヤマグチはケンゾウを喜寿にした。ツカモトJはこう締めくくった——ケンゾウは自分で冬至かぼちゃを作るようになった、孫や娘夫婦や妻にそれを振る舞うようになった、と。
 
 ——「感性」という言葉は「アーティスト」という呼称と同じくらい、思い上がった恥ずかしいものとしてネットでさらし者にされている。
 ツカモトJもソノエも、「感性」に代わる言葉をいつも探していた。見てくれも評判も悪くとも、ふたりはそれが大好きだったから——この日の演奏を終えた帰り道、ふたりはそんな話をして帰った。同棲したいね、という話にもなった。
 
 ライブ2曲目。あるSEの暮らしをヤマグチが唄いだし、ツカモトJも合わせる。テンポはBPM115のオーソドックスな4つ打ち、いわゆるディスコビートのやや遅めのもの。
 バスドラムの手前でバネがガッと鳴る。ドンガ・ドンガ・ドンガ・ドンガ……と、だんだんスローな盆踊りのように聞こえてくる。
 ギターふたりはそれぞれ、当人にしかわからない拍子でカッティングを出し入れし続ける。
 客は少なくとも膝か踵を動かしてくれている。
 ツカモトJはSEのことなど何も知らなかった。ヤマグチが語る作業の合間の休憩時間の話、残業の話、隣の席とこっそりチャットする話なんかの間で、ツカモトJはよく言われる「IT土方」としてのSEをステレオタイプの悲観的表現を用いて淡々と語る。
 仕事は大変だけど暮らしは楽しいもんだよ、みたいな調子で終わらせてもよいのだが(スライドギターがクゥーンと甘い音色を上げる)、ここでバスドラムの数が2倍になる。
 ヤマグチの演奏はそのままで、ギターもそのまま。
 どことなく第三者視点に立っていたツカモトJは、
「俺はこんなもんでいい!」
 とシャウトする。
 ヤマグチと目が合う。ヤマグチがメロディアスに「こんなもんでいい〜」と合いの手をくれる。なんだか機嫌が好さそうだ。
 かと思うと彼は唐突に皆に目配せし、それに飽き足らず身振り手振りを交え、ムラカミさんのドラムソロタイムを設けたかと思うとツカモトJの耳元に顔を寄せ、昔の婚約者の話を始めた。
 ツカモトJはオフマイクであかるい相槌を打った——あんたじゃない誰かの唄だと思えないのなら、池袋西口とか新宿南口でヌルく弾き語ってればいいんだよ、とは言いたくても言えなかった。新宿南口で、そんなソノエのバックで演奏した思い出があるからだ。あのあと、観に来ていた当時の恋人と西口のプラザホテルで互いに最後と決めた夜を送り——もう一晩、今度は何もない晩を、と手続きを済ませもう一度ふたりでドアを閉めたとき、地震がやってきた。
 バスルームの備品が崩れたほか、何かが過度に揺れたり壊れたりはしなかった。ベッドと壁掛けテレビが少しずれただけだった。
 別れの気配を表向きに共有して数カ月が経っていた。改めて話すことなどなかった。
 はじめ福島・宮城の主要都市や一筋の煙が立つ東京を中心にしていた報道は、津波に伴い沿岸部一色になる。
 この日、原発の話があった記憶はツカモトJにはない。
 気仙沼が火の海に染まる。ふたりは身を寄せ合ってじっと黙った。少し時間をおいてコンビニに降りても何もなかったのでふたりはすぐ眠り、意外なほどガラガラの朝のバイキングを経て、もう一度部屋に戻った。
 JRが運転再開後、即、再停止したという。ロビーに降りてふたりは壁掛けの、小さな草原の油絵を見た。カラフルだが非常にラフなタッチだった。最後は目を合わせず別れた。
 
 ——ドラムソロが続く。既婚者ムラカミは好き勝手に緩急をつけて叩く。ひとりで少なくとも3つのポリリズムを保っている。ヤマグチは自分のマイクスタンドの前へと帰っていく。
 棒立ちの観客はひとりもいない。ソノエはうつろな目で、バンドの奥の照明を見つめながら膝だけを動かし続けている。
 
 


 9月、汗がよく冷えるようになってくる。ツカモトJはランニング中に迷って、交番で地図を見せてもらうことが増えた。会話に飢えているのか、どの警官も明朗快活に彼に対応した。
 家に帰ると暗いなか携帯のグリーンかブルーのランプがちかついている。ツカモトJはソノエを喜ばせるべく多少無理をしてでも、面白そうな女には片っ端から声をかけるようになった。
 自ら積極的に本名を名乗るようにもなった——いくつもの新しいあだ名が生まれた。
 寄せられるメールやSNSのコメントに逐一返信し、可能性の芽に水をやる。電話にも極力出る。電話を切ると、外していたイヤホンをもう一度はめる。昔のロックは一様に警察を悪く言う。
 ツカモトJは将来を考える。ソノエはいつまで、許し続けてくれるだろうか。彼女に最期を看取られるとき、横になったまま、何て言おうか。
 ツカモトJは走る。暑くない風が鳴る。耳元では古い音楽が流れる。
 
 ○ 
 
 南向きなのに日当たりが悪いところが、ソノエのお気に入りだった。
 マンションの隅から洩れてくる安っぽい朝日を背中に集める。築3年のぴかぴかの出窓に腰かけて、テレビのない七畳間に散らばった未開封ダイレクトメールを数える。国民年金の封の角がとりわけ鋭く見える。もう学生ではない。
 留守電の両親は生活費が足りているか、いつまでも心配してくれる。
 ソノエは盆に休みが取れなかった。家族には声で触れるしかない。目を閉じ、少し前の留守電を再生してみる。最近、そうする朝が増えた。
 
〈了〉

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PROFILE酒井多果

1989年生まれ。福島県出身。
2012年、The Other Morning Call名義での音楽アルバム『Accorded』がiTunes Music Store より配信される。
実験音楽バンド「一滴」ではボーカルおよびバネ演奏を務める。

Accorded - The Other Morning Call

酒井多果さんの作品